明るい世の中を目指して

教育、エンタメ(ドラマ、音楽等)を中心に扱うブログです。

学校生活が辛いあなたへ、今が全てじゃないという話

 

こんにちは。

もし今、学校生活が辛くて、毎日がしんどいと感じているあなたへ。この記事を読んでくれてありがとうございます。

 

誰にも言えない思いを抱えながら、毎日を過ごしているのかもしれませんね。

 

今日は、かつて同じように悩んだ僕の話を通して、少しでもあなたの気持ちが軽くなるきっかけになればと思っています。

 

正直、僕の高校生活は期待外れだった

 

まずは僕自身の実体験から。


中学生の頃の僕は、自分で言うのも変ですが、わりと調子に乗っていたと思います。いわゆる「調子乗り男」ですね。


友達もいて、明るくて、それなりに「うまくやれてる」…少なくとも自分はそのつもりでした。

 

 



しかし高校に入ってから一変。


勉強についていけない、人間関係もうまく築けない、自信はどんどん失われていって――
中学時代の自分が通用せず、気づけば、自分の居場所がどこにもないように感じていました。そして性格も一気に暗くなり、誰とも話さずに学校から帰ることもありました。

 

あの頃の僕にとって、高校生活は「楽しい青春」ではなく、「ただ耐える時間」でした。
落ちこぼれになり、ぼっちとなり、安心できるのは趣味の時間だけ…。
そんな日々を過ごしていました。

 

「今の環境が全てだ」と思わないでほしい

 

つらい時期にいると、今の環境が自分のすべてだと思い込んでしまいます。
そこでの評価や、人間関係が、自分の価値の全てのように感じてしまうんです。

 

僕もそうでした。
「自分はどこに行っても、どうせうまくいかない」
「今がダメなら、この先もきっとダメだ」
そう思っていた時期が、確かにありました。

 



でも、環境が変わると、人も変わります。
少しずつ、「ここでは自然体でいても大丈夫かも」と思える場所が増えていきました。
もちろん、全てが順調だったわけではありません。相性が合わない人もいました。

 

それでも、高校時代のような孤独感や息苦しさからは、少しずつ解放されていきました。
正直自分でもちょっとだけ驚いています笑。

 

「未来が真っ暗」だと思わなくていい


「学生時代が一番楽しい」「社会に出たら自由なんてない」
こういった言葉をよく聞きますが、学生時代の今がうまくいっていないと、とても苦しく感じてしまいます。

 

僕も、「高校生活がこんなに苦しいなら、この先もっと悪くなるんだろうな」と思っていました。

 

でも、実際にはそうではありませんでした。

 

大学以降、自分の考え方や立ち振る舞いが変わったこともあって、今は当時よりもずっと、落ち着いて生きられています。
未来は、思っているよりもずっと柔らかく、変わっていくものです。

 

今の環境から逃げてもいい。でも、逃げてはいけないものもある

 



学校がつらいなら、無理に通わなくてもいいと思います。
体調や心を壊してまで頑張る必要はありません。

 

ただ、それでも「自分の将来のために学ぶこと」は、できる範囲で続けてほしいです。
それは学校に行くかどうかに関係なく、自分の未来の選択肢を広げることにつながります。
学校に行かなくても、塾予備校に行ったり、あるいは自分で独学したり…学校外でも学ぶ術はいくらでもありますからね。

 

そしてもうひとつ大事なのが、どこかに「安心できる居場所」を見つけておくこと。
それは学校外でコミュニティに入るのでも、趣味に没頭するのでも、どんな形でも構いません。
気分転換の時間や、信頼できる人とのつながりは、心の支えになります。


そして何より、「幸せになること」からだけは、どうか逃げないでください。

 

あなたが幸せになろうとすることは、わがままでも、甘えでもありません。
誰にでもその権利があります。
自分を守ること、前を向くことは、決して恥ずかしいことではありません。

 

もし今、あなたが毎日を「ただ耐えているだけ」と感じているのなら、無理に前向きになる必要はありません。
でも、どうか覚えていてください。今のつらさが、ずっと続くわけではないということを。

 

自分の人生は、自分の手でゆっくりと形づくっていけます。
そしてその人生には、必ず「あなたらしい光」が射す日が来るはずです。

 

カラオケ新機種「SmartDAM WAO!」で歌ってみた

先日、ふと思い立ってカラオケに行ってきたんですが、そこでちょっとしたサプライズが。

 

なんと!見慣れないカラオケの機種が設置されていたんです。その名も…
「SmartDAM WAO!(スマートダム ワオ)」

 

画像

 

あれ?こんな新機種あったっけ?と思って調べてみたところ、どうやら2025年4月ごろにリリースされたばかりとのこと。


うーん、カラオケ好きとしてはちょっと恥ずかしい…。完全にノーチェックでした。

 

この新機種、色々と機能が充実していて、画面のデザインも現代っぽくなっていたんですが、中でも気になったのが新たに搭載された精密採点AI heart」という機能。

 

近年出来た「精密採点AI」もなかなか手ごわかったんですが、こちらは“人が聴いて心地よいか”という“聴感”に注目しているそうで、採点の基準がよりリアル志向に進化している感じです。

 

ただでさえAI採点はあまり得意じゃないのに、ハートまで読まれるのか…と思いつつも、せっかくだからチャレンジ。

 

 

感想としては…やっぱ楽しい!


もちろん慣れている「DX-G」と比べたら低かったですが、いつも以上に「歌い方」や「表現力」を意識させられて、自分なりに工夫して歌う楽しさがありました。

 

それにしても、AI採点の表現力って稼ぐのが難しいんだよなあ。
けど従来のAI採点では裏加点扱いだった、ハンマリングやアクセントが出てきたのはありがたいかも。

 

次にカラオケ行った時は、もう少し練習してリベンジしてみようかな。

 

【本当は明るい人?】高校ぼっちあるある5選

高校生活と聞くと、多くの人が「友達と笑い合う日々」「青春の1ページ」みたいな、どこかキラキラしたイメージを抱くかもしれません。


でも、その一方で、少し静かに、周囲とは少し距離を置いて過ごしていた人も確かにいます。


僕も、そのひとりでした。いわゆる“ぼっち”というやつです。


でも、そこにはそこなりのペースや、静かな感情の動きがあって、今思い返すと不思議と切なく、そしてどこか愛おしくさえ思えます。

 

前置きが長くなりましたが、高校ぼっちあるあるを列挙していこうかと。

 

① 声を発する機会、びっくりするほど少ない

 



声に出す言葉といえば、先生への挨拶と、家に帰って親と交わす数言だけ。


本当にそれだけで、一日が終わることも珍しくなかったです。

 

日常的にカラオケに行っていたため、声の出し方自体が分からないという事態には陥りませんでした。しかしどんなふうに人と話していたか、ふと分からなくなることもありました。


「今日、ちゃんと喋ったかな…?」と夜に気づいて、ひとり口を動かしてみる、そんな日もあったような気がします。

 

② 昼休みは「何かしてるふり」選手権

 

 

昼休み。周りはにぎやかに談笑し、お弁当を見せ合ったりしているけれど、自分はひとり。

 

でも、ただじっとしてると「寂しそう」と思われるのが嫌で、勉強してるふり、本を読んでるふり、寝てるふり……。

 

実際には、勉強の内容はほとんど頭に入ってこなかったし、寝たふりのときは脳内で翌日の天気を考えていました。


でも、なぜか本を読んでいるときだけは、心が少し落ち着いていた気がします。
そのページの中では、誰かとつながっていられたのかもしれません。

 

(言い方はアレですが)嫌な同級生が多かったため、ぼっちでむしろ良かったです。ただたまに、優しい同級生が声をかけてくれることもありました。そんなときは、照れくさくてそっけない返しをしてしまったけれど、心の中では静かにうれしかったり笑。

 

③ ペアワークはちょっとした試練

 

二人組イラスト|無料イラスト・フリー素材なら「イラストAC」

 

「じゃあ、2人組になってください」
その一言で、教室の空気が一瞬ピリッとする瞬間。ぼっちにとっては、毎回が試練でした。

 

誰かと自然にペアになるということはなくて、だいたい余った人同士で静かに目を合わせて組む、というのが定番。


僕の場合も、校外学習で「とりあえずこの子たちで組ませておこう」という感じで余り物同士でまとめられましたが、最終的には現地でそれぞれ別行動になりました(先生にバレていたらどうなっていたことやら笑)


無理に一緒にいるより、気を遣わずにひとりでいたほうが楽だったのかもしれません。

 

④ 便所飯は案外しない

 

 

よくネタにされる「便所飯」ですが、僕はそこまでではありませんでした。正直衛生的にちょっとね
教室の自分の席で、ひとりでお弁当を広げることが多かったです。たまに、食堂の隅っこで。
まわりがにぎやかでも、食事そのものは、自分と向き合う時間だった気がします。

 

 

今でも、外で誰かと食事をすることは少ないままです。
気づけば、ひとりで食べることに慣れてしまったんですね。小さな音でお弁当のフタを閉じる、その動作に、当時の自分の気遣いや静けさが染みついている気がします。

 

⑤ 実は中学までは明るめだった人が多い?

 

 

意外に思われるかもしれませんが、高校でぼっちになる人の中には、中学までは人間関係がうまくいっていたという人も少なくありません。


僕自身、中学時代はそこそこ社交的で、仲のいい友達もいました。何なら女子側から逆ナンされることもありました笑。今思うと調子に乗りまくりでしたねえ…苦笑。

 

しかし高校に入って環境が変わると、進学校ゆえか、中学時代のノリが通用しなかったです。気がついたら、ひとりの時間が当たり前になっていました。そのギャップが余計に自分を苦しめていたような気がします。

 

ネットで高校時代ぼっちだったという人を見かけますが、彼らも案外中学まではむしろ根明よりだったケースが多かったです。

 

 

 


当時を振り返ってみると、あの頃の自分は決して陽の当たる場所にいたわけではありません。それでも毎日、静かに、しっかりと自分の足で学校に通って、教室の一角で呼吸をしていた。それだけで、今振り返ると、充分すごいことだったんだと思います。自分で自分を称えてやりたい。

 

孤独には、孤独なりの強さがあります。
周りに合わせすぎず、無理をせず、自分らしくいるというのは、案外難しいものですから。そして何より――ぼっちで過ごした高校時代の自分にも、ちゃんと「その時なりの青春」があったと、今なら胸を張って言えます。何やかんやで、今の自分を形成した経験ですし、これはこれで財産なのかなと。

 

それでももう一回高校生活を遅れるなら、違った環境で皆と一緒に楽しみたいです!笑

 

最近の芸能人のスキャンダルに思うこと

 

最近、立て続けに芸能人のスキャンダルのニュースを目にするようになりました。長年活躍してきた人が、ある日突然、週刊誌で報道され、翌日には活動自粛、あるいは引退を発表…。ここ最近の流れは、まるである種のお決まりのパターンになっているように感じます。(いわゆる「文○砲」みたいなやつです笑)

 

病気や体調不良で引退するのなら、それは本人の健康第一ですし、当然のことだと思います。でも、スキャンダルによって引退や自粛に追い込まれる姿を見ると、やはり複雑な気持ちになります。

 

特に、自分が子供の頃から親しんできた作品に出ていた人だったりすると、そのショックは小さくありません。懐かしのドラマや映画、バラエティ番組など、その人の存在があったからこそ楽しめた記憶や感情に、ケチがついてしまったかのように感じるのです。「あの作品、好きだったのになあ」と思いながらも、どこかに引っかかる感情が残ってしまう。それが残念で仕方ありません。

 

もちろん、私たちに芸能人の私生活にどうこう言う権利はありません。どんな立場にあっても、個人としての自由やプライバシーは尊重されるべきだと思います。ただ、それでも一つの願いとして、"最後までプロでいてほしい"という思いはどうしても拭えません。

 

芸能人はエンターテイナーです。人に夢や感動を与える仕事をしている以上、ステージを去るときも、できれば美しくあってほしい。昔からある言葉ですが、「立つ鳥跡を濁さず」を実践してくれる人の姿には、やはり格好よさを感じます。

 

 

時代の流れやSNSの影響で、芸能人の「素の姿」が見えやすくなった今だからこそ、逆にプロとしての節度や矜持がより求められるのかもしれません。

 

私たち視聴者も、過剰に叩いたり、必要以上に失望するのではなく、その人のこれまでの功績や、作品そのものの価値をしっかりと見つめる目を持っていたいですね。


そして、また一人でも多くのエンターテイナーが、最後まで誇りを持って舞台を降りられるような世界であってほしいと、心から思います。

 

もっと面白いプレゼンや授業が増えればいいのに

 

みなさん、「授業」とか「プレゼン」って聞くと、どんなイメージを持ちますか?

 

僕はですね、かつてはこう思ってたんです。

「授業=ちょっとしたエンタメショー」

 

そう、中学時代までは本当に楽しかったんです。


先生のテンションが高くて、時にはこちらも合いの手を入れちゃったりして笑。学びと笑いが共存してたんですよね。

 

……ところが。

 

高校に入ると世界は一変。


授業は、淡々。黒板も、淡々。先生の声すら、淡々。良くも悪くも受験のための授業という印象が強く、正直退屈でした。勉強つまんないな、なんて思い始めたのもこのあたりです。内容が難しいのに淡々と話すなんて、当時の僕にはしんどかったですね。合いの手を入れられるような雰囲気ではなかったですし。


唯一の救いは、高1の頃の世界史の先生だけ。その先生は非常勤の方で、大学で中国の王朝について調べながら、学校の先生をしているようでした。

 

彼の授業だけは、毎回が一人芝居のような情熱とユーモアに満ちていて、「この先生だけが希望や」と密かに拍手してました。さらにはその先生のおかげで、世界史クラス1位を取れました。

 

しかし高校を卒業後、大学〜就活と進むにつれて、その“おもんないワールド”は加速。

 

会社説明会では、登壇者が台本を読み上げるように「トウシャノツヨミハ〜…」と説明開始。「え、この人、本当にその会社のこと好きなのかなあ…?」と、説明会を聞いて思っていました。

 

しかも悲しいことに、自分もその空気に染まりかけてました。「感情?それ、おいしいんですか?」みたいな面接やプレゼンを無表情でやる日もありました。

 

しかし、社会人になってからのある日、転機が来ました。

 

とある先輩がプレゼンで、笑いを交えながら堂々と話していたんです。内容も面白いし、何より会場の空気が明るい!

 

「え、こんなに自由にやっていいの!?っていうか、めちゃくちゃ楽しそうじゃん!!」と衝撃。その瞬間、私の中の“淡々呪縛”がバキッと音を立てて崩れました。

 

そうだ、授業もプレゼンも、“聞いてもらってナンボ”。
だったら少しでも笑ってもらえるような、記憶に残るものにしたいじゃないですか。

 

もちろん、ユーモアって簡単じゃないし、やりすぎればスベるリスクもある。それでも、「伝えたいことを楽しく伝える」って、すごく素敵なことだと思うんです。

 

これからも、自分のプレゼンや説明の場では、ちょっと笑えるような要素を忘れずにいたいし、そういうスタイルが“普通”になる世の中になったらいいなって、本気で思ってます。

 

たまには授業や説明会でも、「笑って学ぶ」くらいがちょうどいい。
そうじゃないと、眠気に負けますからね笑。

松野太紀さんが亡くなって1年。金田一ファンとして思うこと


 

2025年6月26日。
松野太紀さんが亡くなってから、今日でちょうど1年が経ちました。

 

1年前のこの日、会社帰りの電車の中でスマホの通知に目を通した瞬間の衝撃は、今でも忘れられません。


「声優・松野太紀さん死去」。


目を疑って、記事を何度も読み返しました。もう、あの金田一の声を新しく聴くことはできない…そう思った瞬間、心の底から寂しさが込み上げてきました。

 

そこで今回の記事で、個人的な金田一に対する思い出を振り返りながら、感謝の意を書こうかと。

 

 

中学生の頃、金田一に夢中だった


僕が「金田一少年の事件簿」にハマったのは中学生のときでした。


ちょうど金田一少年の事件簿R」がアニメ放送されていて、同時期に山田涼介さん主演のドラマ版も放送されていたことが、熱中するきっかけでした。


夕方5時半になったらすぐにテレビをつけて放送を見て、その後も録画を見返す日々。
独特の緊張感と、松野さんが演じる金田一の人間味あふれる、けれどいざというときはカッコイイ姿が、どんどん好きになっていきました。


その後の名探偵コナンのアニメと合わせて、まさに奇跡のミステリーアワーでした。

 

高校時代を支えてくれた「旧作アニメ」

 

高校生になってからは、いろんなことがあって正直うまくいかないことも多かったですが、その頃に出会ったのがAbemaで配信されていた旧アニメシリーズ。


1997年版の「金田一少年の事件簿」は、今見ても色褪せることなく、事件の緻密さや心理描写がとにかく秀逸でした。


松野さんの金田一は、明るくて、お調子者っぽいのに、いざという時はとても冷静で、芯の強さがある。そんな彼の声が心の支えでした。


当時の僕は金田一と同じ高校生だった分、余計に親身に感じながら視聴していましたね。でもかわいい幼なじみがいるのはうらやましい。


(結局実現しなかったとはいえ)「いつかまた新作アニメが見られるかもしれない。金田一の続きが見られるまで、頑張って生きよう」——そう思うことが、日々の希望でした。

 

加えて、丁度このあたりの時期にカラオケ通いを始めたのですが、金田一の曲をメインで歌っていましたね。
松野さんの演じた金田一がいなければ、歌おうと思っていなかったかもしれません。

 

大学生時代の“リモート金田一


コロナ禍で大学生活も思うようにいかず、孤独を感じる日々が続いた中で放送された「ZOOMドラマ版金田一」。


リモートで事件を解決するという新しい形の試みでしたが、そこにも変わらず松野さんの金田一がいて、温かく、そして真剣な眼差しを向けてくれていたように思えました。
犯人に対して愛のある言葉を言うシーンは、「これぞ松野さんの金田一だ」と思えました。

 

金田一がパパになった日


松野さんの死後、まさかの展開がありました。


金田一一が“父親になった”という新シリーズが発表されたとき、正直戸惑いもありました。でも、それはきっと「金田一の物語はこれからも続いていくんだよ」というメッセージだったのかもしれません。

 

そして、今年の春に開催された、アニメの楽曲を使ったオーケストライベント。
ステージ上に響き渡ったのは、松野太紀さんのあの懐かしい声。

(当時の記事はこちら)

 

meitanteikakkokari.hatenablog.com


追悼として流されたナレーションに、会場中が静まり返り、僕も気がつけば涙を流していました。
ただそれは決して悲しさではなく、彼の声と再会したことによる涙でした。

 

実を言うと、当時僕は転勤で違う職場に行く直前だったんですよね。

新たなステージへと進む金田一に、先ほどのオーケストライベント。新生活を始める僕の背中を押してくれているかのような気分でした。

 

ありがとう、松野太紀さん


松野さん、あなたが演じた金田一一は、僕にとってただのキャラクターではなく、“人生の節目ごとに寄り添ってくれた存在”でした。

 

事件を通して人間の弱さや悲しみに向き合い、真実を見つけようとするその姿は、僕の生き方にまで影響を与えてくれました。

 

もう新しい声が聞けないのは本当に寂しいですが、あなたの金田一は、これからもずっと僕の心の中に生き続けています。

 

心からの感謝を込めて。


松野太紀さん、本当にありがとうございました。

 

転勤2ヶ月。何やかんやで元気にやってます

 

どうも皆さん、こんにちは。
気がつけば転勤してから、もうすぐ2ヶ月。
地元を離れ、違う土地で1からのスタートとなりました。

 

いやー、最初の頃は正直バタバタでした。電気や通信といったインフラの手続きをしたり、家電を調達したり。1ヶ月分の給料が飛んだのではと感じます。

 

で、仕事の方もなかなかにサバイバル。
本来なら、「この業務はね〜」なんて優しく教えてくれるはずだった先輩社員が、なんと僕が異動する直前で休職に。え、そんな展開ある? という気持ちを押し殺し、異動3日目にして夜の9時半に会社を後にするという、社会人RPGのハードモードがスタートしました。(一応言っておくと、今はもう少し早く帰れています…)

 

当然、分からないことだらけ。でもありがたいことに、周りの先輩方が本当に親切で。
「あ、それはこうやるといいよ」「ここは一緒にやろうか」なんて言葉に何度救われたことか。
たぶん今の私は、他の人の優しさでできています(あと冷凍食品で笑)。

 

もちろん、正直言って負担は大きいです。
「これ、ちゃんと続けていけるのかな」なんて思う瞬間も、ゼロではないです。「退職」の2文字が頭をよぎったこともありました。でもまあ、「何やかんや」でここまで来たので、きっとこれからも「何やかんや」で乗り切れる気がしてます。たぶん。きっと。おそらく。

 

というわけで、最近は週末にカラオケ行ったり、ネット上で動画を見たりと、ほんのちょっとずつですが、新天地での生活にも慣れてきました。

 

応援してくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
また「何やかんや報告」すると思うので、そのときはどうぞ生温かく見守ってください。

 

それではまた!