名探偵(仮)のブログ

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進学校落ちこぼれの足跡② 高校生編(前編)

いよいよ高校受験を経て、進学校へと入ります。

しかしそこで紆余曲折を経て、落ちこぼれへとなってしまいます。

今回はその話をしたいと思います。

 

前回はこちら

meitanteikakkokari.hatenablog.com

 

 

 

晴れて進学校に入学

正直、春休みは遊びまくりでしたね笑。気ままにふらつくことも多かったですし。

一方で塾の別校舎(僕が通っていた校舎よりずっと大きな校舎)に行って、高校のための予習を行う勉強会も行いました。そこでもある程度は理解出来ました。

そういう経緯もあり、ある意味では不本意な入学でしたが、何とかなるだろうと思いながら、高校生活に臨みました。

一寸先は闇とも知らずに…。

勉強の難しさ、そして競争に挫折

高校入って、色々なギャップにショックを受けました。

まずは小テスト。英単語や熟語、たまに数学の計算問題とかでしたが、特にひどかったのが古文単語でしたね。なぜかマイナーで評判もイマイチな古文単語帳を使い、その意味を一言一句丸暗記するという酷いものでした。
出版社と癒着していたのかもしれない。

小テストの範囲も広く、おまけに再試のラインも高かったため、地頭の悪い僕にとっては合格するので精一杯でした。というか何回か落ちた。

定期試験も難しかったですね。一応高校の偏差値は70近くありましたが、それでも科目によっては平均点が40あるかどうか…ってこともありました。赤点も取りました苦笑。特にしんどかったのが、理系科目の負担が重かったこと。理系選択者が多いからか、理系の比重が重かったです。高1時点で数学は微積の直前あたりまで進め、理科に至っては地学以外の理科基礎を全て年内に終わらせていましたからね。数学はともかく、理科はあまり得意ではなかったためしんどかったです。

ただ、最初不調だった世界史については、先生の話が面白かったことと、漢字多くて覚えやすい中国史に入ったことで、赤点からクラストップに上昇しました。そして世界史選択にすることにしました。

ちなみに課題が多いとは入学時に言われていましたが、これは正直いうほどか…?とは感じましたね。万年下位クラスかつ、元々夏休みの課題を早めに終わらせるタイプだったからかもしれませんが。

さらに勉強そのものよりしんどかったのは、内部の競争でした。進学校だったので、頭のいい人が多かったです。駿台偏差値60超えも多かったですし、何なら70超えもいました。割と教育熱心な地元の中学にも頭のいい人は多くいましたが、それ以上に熾烈な競争でした。特に中学受験組は賢い人が多かったですね。正直(中学時代勉強してきたんだからなんとかなるだろ!)と思っていましたし。入学当初に受けたスタディサポートの成績が良かった分余計に…笑。
多くの先生が成績の悪い生徒を皆の前で罵倒したり、成績を晒したりしました。加えて塾と同様、成績順でクラス分けするのですが、下のクラスを堂々とバカにする先生や生徒もいました。あとは全員の定期試験の成績を公開する、ということもありました。

僕は中学や塾で「能力で人をバカにしてはいけない」という教育を受けていました。そういう先生も一部いましたが、基本白い目で見られていました。何なら成績を自慢しただけで注意されたくらいです。やんちゃな男の子だった自分も、運動音痴なのをバカにされたら嫌なので、この教えだけは忠実に守っていました。だからカルチャーショックが大きかったですね。

ちなみに進路についてですが、中学時代公民分野が一番得意だったため、私立文系専願かつ政経選択で受験しようと思っていましたね。これもあって理系科目の負担の重さがしんどかったです。冬頃に私文クラスに入っても日世のどちらかしか選択出来ないと知り断念しましたが…苦笑。

挫折したのは勉強だけではない

勉強だけでなく、人間関係でも躓きました。中学時代のように振る舞えば、盛り上がれるだろうと思いましたが、上手く行きませんでした。そして成績のこともあり、中学時代から一転、クラスでは孤立し、誰とも話さない日もザラになりました。

さらに高校でのストレスも相まって、地元の友達とも衝突するようになりました。元々素行がいいかと言ったら微妙でしたが、それでもここまで人間関係でトラブルを起こすことはなかったです。今でこそ少しは修復出来ましたが、踏み止まれていればと、今でも後悔しています。

これらの経験から、かつての元気さ、学力、友人を失いました。勉強出来る活発な優等生(?)から、運動も勉強も出来ない進学校落ちこぼれへと転落しました。中学の時よりも周囲から下に見られたり、バカにされたりすることは多かったです。

初めて学校に行きたくないと思うようになりました。「なんで塾内トップの俺がこんな目に…」とずっと思っていました。不登校寸前でしたね。カレンダーで終業式までの日数をカウントダウンしていました。

加えて表には出しませんでしたが、当時は親のことを恨んでいました。高校受験期、模試の志望校欄に高校名を書かなかったらキレられたのは今でも覚えています。なぜか親はやけにこの高校に拘っていた記憶があります(気のせいかもしれないけど)。そのため高校でしんどい思いをするたびに(中堅高校に行っていれば…そもそも親からの提案を拒否していれば…)って思うようになりました。

高1の前半こそ自分なりに勉強していましたが、徐々にやる気を失っていきました。2年生の頃もそうでしたが、好きな漫画やドラマ等の続きを楽しみにすることが、毎日学校に通うモチベーションでした。

余談ですが、このあたりで2時間サスペンスの枠が減りました。好きだったので辛かったですね。今思うとこれもメンタルに響いたのかもしれません。

そんなこんなで高2に進級します。

(高1よりはマシだろう…文系科目の授業も増えるし…)

そう淡い期待を持っていました。しかし、現実は甘くありませんでした。

学校外はある程度充実。だが…

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学校外ではそこそこ楽しい思い出がありました。漫画アニメやネットサーフィンに浸ったり、地元の友人とつるんだり、SNS上で学校の愚痴を吐いたり…。あとはカラオケにも行きましたね。カラオケの点数がテストの点数になればいいのにと何度思ったことか…苦笑

当時は2時間歌うときもワンコインで済んだため、週に2回以上行くこともありました。落ちこぼれたという現実から逃避する側面が強かったですが、一方でこれがなかったら勉強していたかといったら微妙ですし、むしろもっと病んでいたのではないかとすら思います。

一方、学内での生活は相変わらずでした。

数学が急成長。国立文系志望にチェンジ

高2になり、文系理系で別れるようになりました。秋からは世界史、日本史でも別れるようになりましたね。高1の頃と比べ、カリキュラムが大きく変わりました。

しかし成績の方はお察しです。赤点は回避していましたが、それだけ。正直1年の頃の方がまだ勉強していた説すらあります。
クラス一位を取れていた世界史も、母集団のレベルが上がったことと先生が変わって授業がつまらなくなったことで挫折しました。横文字が多くて苦手な西洋史は平均に届かず、それどころか得意だった中国史も平均ギリギリでした。
公民分野も平均点こそ取れていたものの、中学時代のような結果は残せませんでした。

一方で上手くいった面もあります。小テストは高1時点の復習がメインだったため、大して勉強しなくてもほとんど合格しました。あと高1の頃は赤点スレスレだった数学の定期試験ですが、一気にクラス上位に食い込めました。歴史、古文が苦手だったというのもありますが、これがきっかけで国立文系志望にチェンジします。中学時代は数学得意でしたし、公民も活かせますからね。

1年の頃のような身体的なしんどさはなくなりましたが、その代わり虚無感と受験が近づくことによる漠然とした焦りがありました。かといってそれに抗うこともなく、抜け殻のような日々を過ごしていました。

1月になり、某進ハイスクール主催のセンター模試を受験することになりました。正直ある程度やれるという謎の自信がありました。

果たして、その結果は…?

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