名探偵(仮)のブログ

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進学校落ちこぼれの足跡③ 高校生編(後編)

いわば高校生活の後半戦、そして大学受験を迎えます。

さてさて、どうなることやら…?

 

前回はこちら

meitanteikakkokari.hatenablog.com

 

 

 

 

センター同日の結果は…?

前回お話しした通り、某進でセンター同日を受験しました。その結果は悲惨なものでした。最も得点率のよかった英語や倫理政経ですら6割あるかないか…。科目によっては20点とかありましたね。

実は僕の高校、校内予備校のようなものがあったのですが、以前から先生にしつこく勧誘されていました。後で知ったことなのですが、どうやら先生側にもノルマが課せられていたみたいです。どこか学校に従ったら負けだと思っていた僕は行きたくないと思っていました。

しかしセンター同日を受け、(このままじゃヤバい!なりふり構っていられない!)と感じた僕は、校内予備校に参加することを決意しました。

朝8時から夜10時まで猛勉強の日々

高3時(校内予備校が始まったのは高2の終わりから)の僕は、必死に勉強していました。以下がその大まかなスケジュールです。

朝7時前には起床し、8時には着くようにしていました。登下校時は電車内で単語帳などを開いたり、教室に早く到着して勉強したりしました。

授業には今までより必死により組み、休み時間も時間を惜しみませんでした。授業は4時あたりに終わりましたが、しばらくすると校内予備校の時間です。それに対しても必死に取り組みました。

家に帰るのは夜10時。家の最寄り駅で安めの炭酸ジュースを自販機で購入して、テレビなどを見ながら飲む(次第にその時間も勉強に充てるようになりました)。今でも夜に近所を歩くと、当時のことを思い出します。

 

※あくまでイメージですが、毎日こんな感じの光景を見て帰っていました。

今思うと(そんなとこにまで力入れるなよ…効率悪いぞ…)と思うような勉強をしていました。今まで勉強をしておらず、またその習慣すら失っていましたから。ただ、とにかく必死でした。2年間の遅れた分を取り戻すために。不思議と高2までのときより、充実していたと感じます。身体的負担は凄かったですし、残業時間に換算すると過労死ラインに突入するくらいはやっているのでは?と思うレベルでしたが苦笑

それでも今までの遅れを取り戻すのには苦戦しました。特に数学。実は定期試験でそこそこ取れていたのですが、模試だとそこまで得意ではなかったんですよね…。偏差値50行くかどうかってレベルでした。

夏までは勉強しても伸びなかったです。それでも中学のときの成功経験からか必死に粘りました。ノートだけでなく、プリントの裏紙なども使いました。その結果、秋の河合の記述でS評価をもらえるまでに伸ばせました。

倫理政経や理科基礎、現代文も結構得点源になりましたね。あとリスニングも苦手でしたが伸びました。筆記180点でリスニング20点という極端な成績を取ったことは今でも覚えています苦笑。それでも8割前後を取れるようになりました。

一方で古文、世界史は最後までなかなか伸びなかったです。文系なのに…。そもそも中学の世界地理ですら苦戦していた人間が世界史選ぶなよ…。

正直高3の1年間はあっという間でした。年明けを経て、センター本番を迎えます。

ついに迎えた受験本番。そして…

結論から申し上げますと、センター試験には失敗しました。

直前の模試はおろか、一学期に受けた河合のマーク模試すら下回りました。確か7割5分あったかどうか…ってレベルだったと思います。(1学期受けたときの調子がよかったのもあるけど…)

そういうわけで、行きたかった国立大は諦めました(今思うと、ダメモトで挑戦すればよかったかもしれません)。しかし歩みを止めるわけにはいきません。併願の私大対策にコミットすることを決意します。

しかし、私大受験も、正直順調とは言えませんでした。

というのも、挑戦校にコミットしていたんですよね。しかしその日に体調を崩してしまったのです。僕より優秀な同級生も落ちていたので、どちらにしろ僕も…とは思いますが。

それでも何校か合格し、そのうちの1校に進学しました。正直浪人する気力もありませんでしたし…。燃え尽きたのと強い挫折感のせいで、卒業式のときの記憶はほとんどありません。中学を卒業した時の方がずっと鮮明に覚えているレベルです。世間的に見れば決して悪くない大学なのですが、中学時代の成績や高校の偏差値、そして曲がりなりにも国立大学を目指していたという事実からすると、ね…。

このような暗い思いを抱きながら高校を卒業、そして大学に進学します。

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